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【自己紹介①】はなゑみプロジェクトを企画した佐藤大(サトウ ヒロシ)って何者?

▼はじめまして

はじめまして、佐藤 大(サトウ ヒロシ)と申します。
クラウドファンディングをご覧いただきありがとうございます。
私は福島県喜多方市出身で、10年前から大阪に住みはじめ、現在は大阪の中小企業支援機関で働いています。

現在は「大阪地域の中小企業で働く人の力になるためにできること」を日々考えながら仕事をしています。

クラファンのお話をする前に、そもそも私の自己紹介をさせてください。

▼出身は福島県喜多方生まれ

生まれは、会津福島県喜多方市です。
喜多方は世間的には「喜多方ラーメン」で有名かも知れません。

喜多方市HP
https://www.city.kitakata.fukushima.jp/

小さな土木業を営む家庭に長男として生まれました。
ここで中学3年まで過ごし、子どもの頃の性格としては泣き虫でいじめられっ子で引っ込み思案でした。

▼高校時代に人生の転機が

中学時代までの性格もあり自分をどこかで変えたかったのか、高校は福島県中通り地方の郡山市にある日大東北高校へ進学します。
喜多方から郡山は約2時間くらい離れているので、下宿生活がはじまります。
し知らない土地、友達もいない環境でしたがなんとかかんとか暮らしていました。
そんな、高校2年の秋、土木業をしていた実家が倒産します。
この時、夜逃げならぬ昼逃げを経験しここで一家離散です。
また、地方の土木業の3代目になるという人生の流れが無くなった瞬間でした。

それでも、奨学金などのおかげで高校は卒業出来、卒業後は父と祖父母が匿われていた神奈川のおばさんの家に向かい、日大の通信教育部に進学します。

日大通信教育学部
https://www.dld.nihon-u.ac.jp/

神奈川県の生活は、おばさんの家の倉庫に4年住むというか潜伏し、普通の大学1年分の学費で4年通えるが卒業率が3割以下という学校をなんとか5年で卒業し、バイトは近くのドラックストアで4年勤めていたりと、なんだかんだ忙しい毎日を過ごしていました。

その頃の夢は教師になることで、とりあえず教員免許を取ることを目標に歩んでいました。
正直、21歳頃までは親の借金のことなど何処かで性格が歪んでいたと思います。ただ、バイト先の仲間や無理やり成人式に出席し虚しさを感じたこと、何より教育実習で母校に帰り、柔道部のお手伝いをする中で顧問の先生や子どもたちのおかげで捻くれた浄化することが出来ました。
今でも、実習時代の子どもたちとも交流があり感謝しています。

そんな、大学生活の終わりの頃からはじめたバイトが家の近くにあるキッドボックスというミニカーショップでした。
教員採用試験は2年受験しましたが落ち、このミニカーショップに就職します。

キッドボックス
https://www.kidbox.co.jp/

こちらで、5年半社会人の基礎を学ばせていただきました。
この時期に、大阪支店が堺にあったので3ヶ月ほど住んだり、取引先が上新電機だったこともありちょっとずつ関西との接点が生まれます。

そんな、神奈川時代大阪に行くきっかけとなる出会いが訪れます。
屋久島一人旅からはじまる大阪奮闘記は次のブログで書かせていただきます。

クラウドファウンディング挑戦中
ぜひ、ページご覧いただき支援いただければ幸いです。

https://camp-fire.jp/projects/view/648344

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